歌の小径

自画像 1961年 作


始まりは1枚の絵から


創作意欲の芽生え

密かに思いを寄せていた女の子の絵を・・・


 思い起こせば、私がこれまで長きにわたって絵や文章、音楽など、色々な形で美を表現してきた活動のきっかけとなったのは、幼い頃の初恋だったような気がする。

 私は豊田市生まれ、青春時代をふるさとで過ごした。小学校の頃は近所でも名高いガキ大将で、今の子供たちが聞いたらうらやむくらい、近くの矢作川で魚捕りや水泳をし、野球やサッカーに明け暮れる毎日だった。学校の得意科目は国語、音楽、体育、絵画といった具合で、その頃から、どちらかというと、理数系というより文系か芸術系人間だったのかもしれない。

 五年生のとき、町役場主催の小学校対抗写生大会が行われた。その時、密かに思いを寄せていた一年上の女の子から「うまく描けないから、ちょっと直して」と頼まれたのだ。私が喜々として彼女の絵を手直ししたのは云うまでもない。その絵が何んと銅賞に入選してしまい、金賞に入った自分の絵と一緒に廊下に展示されたときの嬉しさは、言葉にならないほどだった。
その時、彼女は「ありがとう」と礼を言ったが、さすがにばつが悪かったのだろう、その出来事があってから何となく私から遠ざかるようになってしまった。

 しかし、当時の淡い恋心が励みとなり、あのとき初めて自分の中に創作意欲というものが芽生えたような気がする。

もちろん、彼女にしてみれば、そんなことは記憶すらしていないと思うが、私にとっては、それからの人生を方向づけたともいえる貴重なエピソードだった。

もの書きへの移行

10代後半「ホトトギス」の投稿が入選

 中学生になると水彩画に興味を覚えるようになり、まだ当時は終戦直後の貧しい時代で、同級生では誰も持っていない水彩絵具がどうしても手に入れたくなった。そこで、井戸水を汲んだり、食事をつくる手伝いをして小遣いを貯め、絵具を買って水彩画を描いた。そのころから、絵に添えて文章を書くようになった。

これが俳句を始めるきっかけとなる。

十代後半には俳句界の本流ともいえる同人誌「ホトトギス」に投稿した正月の俳句が初入選した。

 『掃初の塵らしきものなけれども』  高須丁香

 俳号「丁香(ちょうこう)」は、出身地の豊田市にある長興寺(ちょうこうじ)になぞらえたもので、郷愁を感じさせるところが気に入っている。

 『ちょっとつまみ洗いするなり春の泥』

 この頃、俳句と同時に詩にも興味を覚え、島崎藤村や石川啄木、ゲーテの本を盛んに読んで、心を熱くしたのを覚えている。


句作中 19才頃の私



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