作詞家への道
25歳で西条八十氏の弟子・山森氏に師事
本格的に歌謡曲の作詞・作曲の道を歩み始めたのは25歳頃からで、西条八十氏の弟子にあたる詩人、山森三平氏に師事した。
そのころから、西条氏は体調を崩されており、ついに会うことができなかったことは、いまでも心残りである。
昭和38年には名古屋に帰り、横浜の全国歌謡作家センター主宰の鑑田隆夫氏に師事。曲づくりのイロハを学んだ。
43年に、「忘れてやるさ」 「想い出のナイトクラブ」で作家としてデビュー。
この年に日本音楽著作権協会会員となり、数年後に、日本作詞家協会会員及び日本作曲家協会会員となった。
以来、コマーシャルソングを含めてレコード化された作品は百数曲以上になる。中でも堀田利夫に提供した作品が一番多い。